再独身生活エンジョイ中

離婚後に自由に生きる姿の記録

R1200GSの記憶

最後の贅沢ということでR1200GSを買いました。

時期的にはR1200GSの水冷が出る直前のころです。

 

 

1.感想

性能は良かったと思います。

またパニアケースの幅を変更できる機構がついていたので旅行に行くとかにも便利でした。

実際、私もこのマシンがもっとも遠出したマシン(次点がR1100RT)となりました。

ポジションも楽でコーナーも早く、足つきさえ克服できれば最高のマシンとなってくれると思います。

 

 

 

2.売却した理由

いちばんの理由はハイオクガソリンやその他維持費を安く上げるために手放しました。

車を軽四から普通車に変えたため、その代償として高級外車を売りにだすことにしたのです。

また、楽なポジションや高性能な車体にピックアップの鋭いエンジンが付いているとどうしても飛ばしたくなり、飛ばすと疲れるという自業自得な現象が発生していました。

ここまでBMWに3台のりましたが、やはり私にはR259系エンジンのダルさが私の使い方にピッタリだと感じました。

スーパースポーツでかっ飛ばしていた友人たちがハーレーで見た目重視カスタムを行い、コーナーを楽しむような走りをしなくなったのを見て謎だと思っていましたが、今ではその気持ちがすこし分かります。

 

 

 

BMW本社としては、製品が売れてくれないことには利益を出すことができません。

そのためには旧型よりも新型に「わかりやすい刺激や悦楽」があったほうが売りやすいわけです。

そのためエンジンは鋭く、搭載位置は高く、運動性も鋭くなっていき、私が憧れたBMWではなくなってしまいました。

最近ではフロントテレレバーを廃止した車種も出始めたようで、国産とのアドバンテージが「シャフトドライブ」ぐらいしかないのではないか(私にとって)と思います。

しかし、その経験がなければ「遅いバイクの魅力」に気づくことはなかったわけで、私のBMW遍歴がただの無駄遣いではなく、人生経験の一つになったと思い、ここに記し、これを読んだ方々の「自分に合った一台」を見つける参考にしていただければ幸いです。

R1100RSの記憶

前回の記事で書いたR1100RS('00)です。

これも結局のところ10年落ち、70万くらいでした。

近くに正規ディーラーもないし、不具合がでたら売却するつもりでレッドバロンで購入。

案の定不具合が出るのですが、これは有名な不具合でありレッドバロンのせいではありませんでした。

 

 

1.感想

R1100RTよりも若干前傾姿勢となり、重量も軽いため色々なところでRTよりも楽に感じました。

高速道路で大幅な速度超過をしない限り、RTもRSもそんなに変わらないと思います。

ハンドル位置調整機構は一度も触りませんでした。

やっぱりこのエンジンは良いと再確認。

この後最後の贅沢にR1200GS('09)を買うのですが、私は1100シリーズ(R259)エンジンの回転上昇と下降が鈍い感じのほうが好きでした。

もしも関東、関西の都会に住んでいたら、老舗の世紀ディーラーと付き合いながら、多少のお金がかかってもコレに乗り続けていたと思います。

 

 

2.不具合

R259系定番のABS故障がありました。

このABS故障は修理費40万コース。

3年乗りましたが70万のバイクで40万の修理費とか馬鹿馬鹿しいので、最後の贅沢にと2009年式のR1200GS(170万)に乗り換えることにしました。

そしてR1200GSがBMWとの決別のプロローグとなるのです。

XJ6の記憶

離婚後にとりあえず400ccオーバーで価格のリーズナブルなマシンをということでXJ6diversionを買いました。

これは走行1000kmぐらいの新古車で購入。

 

1.感想

ポジションが楽で、パワー的にも過不足がなく、乗りやすいバイクでした。

当時のフューエルインジェクション車は、アクセル開け始めにドンツキがあるといわれていましたが、XJ6ではドンツキを感じることはありませんでした。

またセンタースタンドがついていたため掃除もしやすく、色々な意味でベストサイズなバイクでした。

 

 

2.不満

その1-シフトが硬い

個体差の可能性もありますが私のXJ6はシフトがとても硬かったのを覚えています。

遊びが少ないためにタイミングがシビアだったのか(私が下手だったのか)とも思いますが、シフトアップのために足に入力してからアクセルを戻すということをしても硬かったので、そういう仕様なのかなとも思います。

よく言われるような「アクセルをちょっと戻すだけでポンポンシフトアップ」は困難で、しっかりクラッチを握ってシフトアップをしていました。

 

 

その2-シート高が低い

XJ6のシート高は785mmで足つきは抜群でした。

しかしその代わりステップに足を乗せた状態が長く続くと膝が痛くなってきました。

CB400SSの場合はシート高790mmでしたが、ステップが前のほうにあったために膝の痛みはありませんでした。

XJ6の場合はシート高の問題だけではなくステップの位置がシート真下あたりに合ったために膝が窮屈になったのだと思います。

 

 

3、手放した理由

2000年型のR1100RSを見つけてしまい、もう一度BMWに乗りたくなったことです。

この頃には私の中では4気筒の加速感よりも、2気筒の「地面を蹴ってる感」が好きになっていたこともあります。

身長がもう少し低ければ膝の痛みも無く、XJ6にもう少し乗っていたかもしれません。

R1100RTの記憶

新しいカテゴリーとして今日からバイク体験記を書こうと思います。

私の全てのバイク体験記を書いてしまうと私がどこの誰だか特定されてしまう虞がありますので抜粋でお届けしようと思います。

 

 

今回はR1100RT('95)です。

このバイクを購入したのは2003年ころ、8年か9年落ちの認定中古車でした。

そのころ私はライダースクラブという月刊誌を読んでおり根本健氏がやたらとBMWの性能を褒めていたため国産4気筒ネイキッドから乗り換えました。

新車価格は180万ぐらいだったところ、9年落ちで100数万で入手しました。

 

 

1.感想

根本氏が当時から言っていた「ロングツーリングで疲れない性能」はウソではありませんでした。

また大柄なのに峠道もそこそこ楽しいという根本氏の言も本当で、一般道中心のツーリングでも楽しみながら、それでいてスーパースポーツに乗った友人たちを待たせることのないペースで走ることができました。

エンジンの回転はクランクが重たい感じで回転上昇が鋭いタイプではありませんでしたが、かといって鈍いと感じるほどでもありませんでした。

ただし、タイヤの前後空気圧にはシビアで特に左方向へのハンドルの切れ込みを感じたら空気圧不足で、指定空気圧よりも0.1kpa下がっただけでも体感できますので私は0.1kpa多目に空気を入れるようにしていました。

空気圧が正常でもハンドルの切れ込みを感じたら、そのときはタイヤの経年劣化が進んでいるというサインで、交換時期でした。

 

 

2.故障

その1ースターターモーターの永久磁石剥離

突然セルフスターターが回らなくなり、ネットで調べたところ「スターターモーターの永久磁石が接着剤でくっついているだけなので、接着剤が弱って磁石が剥がれるとモーターが回らなくなる」との情報がありました。

対作品としてネジ止めのモーターがあるようです。

私のRTもそこが故障して11万の出費となりました。

 

 

その2-突然のエンジンストール

アクセルを全閉にしたときに突然エンジンが止まることがありました。

走行中でも発生し、2~3回アクセルを開け閉めするとエンジンが再度かかるという症状。

正規ディーラーに持っていってもそのときには症状は出ず、「低い回転域を使うとプラグがカブリ気味になる」と言われプラグ交換されました。

しかしその帰りの道中でも同様の症状が発生しました(プラグを変えたのは事実なのでクレームとかは行いませんでした)。

その後ですが、この問題を突き止めることなく手放さなければならなくなり、売却しました(離婚直前に別居することになり自分用の車が必要になったため)。

今になって思うと、次の記事のような不調がどこかに有ったのかもしれません。

www.virginbmw.com

 

この後、離婚しもう1台、R259系のR1100RSを所有しましたが、その経験から言うと、確かに古い外車は安く買えるのですが近くに経験豊富な正規ディーラーがない場合はトラブルの経験数の少なさから来る「原因究明力不足」が古い個体の維持の支障になります。 

縦置きクランクに回転上昇の緩いエンジンは非常に魅力的でしたが、多くの方が言う「BMWは10万キロ乗れる」というのは新車を10年間、経験豊富な都内ディーラーとの付き合いの中でのみ可能なのだと感じました。

とある地方都市の子育て

保育園落ちた日本死ね!!ってのが二年ほど前に話題になりました。

その後、この方はツイッターで「自分の思い通りにならなかったのは政権や政治家のせい」といわんばかりの発言を繰り返しておられるようです。

都市部に住んで夫婦共働きで子どもができて、子どもが保育園に入れないから仕事をやめなければならない、それはそれはお気の毒なことです。

しかしそれはある程度の賢さがあれば予想できたことではないでしょうか。

一億層活躍社会という単語を言質にとって自分が仕事を継続できなかったことを批判していましたが、現状が一億層活躍できていないからそうなるように目指すという意味であって、そのような政治的に大きな変化がすぐに完了するはずもなく、もしもすぐに完了するのであれば、それは政治スローガンにするほどのことも無い簡単なことだったということになります。

 

 

 

1.親との同居の可能性

例えば親との同居をしないのはなぜでしょうか。

なにも姑と住めと言っているわけではありません。

「マザコンだ」なんだと5ちゃんねる鬼女みたいな無益な批判がきても議論が逸れるだけですので、なんなら男がマスオさんする生活でもいいんです。

田舎を捨てて都会で生活することにしたのなら、親の手を借りないで歩む人生についてある程度考えて備えておくべきだし、親が近場にいて「姑(実親)との同居はイヤ」というのなら、同居を実行している人よりも同居の不利益がないかわりに別居の不利益があるのも当たり前なのではないでしょうか。

 

 

2.都市部と地方は分かり合えない

過去に進学校と言われた地方の落ちぶれた高校の先生がぼやいていました。

進学校で一所懸命教えてもその子らの一部が県庁や地元優良企業に戻ってくるだけで、その多くは関東関西の大学を出てそのまま都会で就職し、都会の税収に貢献する。この流れを我々の世代で止めることができなかったのは申し訳なく思う。」

実際に当時頭の良かった生徒は都会で就職し、さほど頭の良くない高校の生徒が地元に残りました。

またメンタルに不調を抱えた者や障害者は当然に都会で就職などするわけもなく、福祉コストのかかる人間が地方に残り、稼げる人間だけが都会へ行くという構図がありました。

そのようにして地方は少子化が進みましたが、公務員保育士の人数をそれに合わせて急激に減らすことは難しかったようで(公務員のクビきりは難しいらしく)、その地方では保育園落ちたとかで大騒ぎする人はいませんでした。

また、ツタヤ、ゲオ、コンビニ各社などのように、加盟店契約やアルバイト、非正規社員で地方の人間を働かせてその利益の一部を本社に吸い上げるというビジネス構造もあり、都会には都会のメリット・デメリット、田舎には田舎のメリット・デメリットというものが出来上がっています。

保育園落ちた人がどのような経緯で保育園に落ちたのかがわからないので、断言することはできませんが、

 

 

田舎から都会に出てきたのであればその時点で得るものと失うものがあった

仕事が好きでやめたくないのなら主夫を養える環境を整えるべきであった

自分の収入減が家庭に打撃をあたえるなら貯蓄をすべきであった

または、収入の多い男性を選ぶべきであった

 

 

などなど、いまさらshould have+過去分詞みたいなことを言っても仕方がありませんが、彼女に一定の批判が集まるのは分析が甘く対策もしなかったために不幸な結果が訪れたのに、結果のみに文句を言っているように見えてしまうからではないかと思います。

 

 

 

3.とある地方都市のある家庭の子育て(本題)

やっと本題にはいるわけですが、私がある地方都市で働いているときに見たある家庭の家計事情です。

夫:ガソリンスタンドの正社員で年収300万

妻:介護施設職員で年収300万

夫の父:農業で年収300万

夫の母:子どもたちの世話と家事

住宅事情:夫の父母は昔からの家、若夫婦と子どもはその隣に建てた家

車:普通車1台、軽自動車3台(うち1台は農業用軽トラ)

このように両親同居の上に収入を分担することで世帯収入900万程度があり、年収500万程度の役場職員(専業主婦世帯)が色々切り詰めている中で余裕ある生活をしていました。

このような余裕のある家庭でも両親が共働きということで保育園の応募資格もありますし、保育園の枠不足もありませんでしたから、子どもたちは保育園に通っていました。

保育園での急な発熱や病気怪我はおばあちゃん(夫の母)が対応できますし、「保育園落ちた日本死ね!!」と悪態をついて誰かを恨んで生きるよりもよっぽど心の健康に良い環境だと思います。

 

 

結局のところ、無い袖は触れない、身の丈を知るといった言葉を的確に解釈して自分の生活に活かすためには

現状をきちんと分析する

自分のやりたいことの優先順位を決める

得るものと失うものを予め予測する

ことが大事ではないかと思います。

それをせずに文句ばかり言うから、「俺(私)だって○○を諦めて今がある!何も諦めずにアレも欲しいコレも欲しいは許されない!」と憤る方々からの批判が届くのではないでしょうか。

 

はてなの雰囲気

ブログを書くに当たりはてなブログを選びましたが、トップページひ表示される各ブロガーさんたちの記事にある種の傾向があるような気がします。

私が感じるその傾向とは

現状に批判ばかり

政権にも批判的

な記事がよく並ぶような気がしますね。

過去にはgooブログライブドアブログも使ったことがあり、それらと比べて趣味&エンジョイ系ブログがトップに表示される割合が少ないと感じます。

あとは、メンタル故障みたいな単語も多いかな、薬飲んだとか入院してたとかの。 

 

 

 1.批判者への感想

現状に批判的といえば私の場合は家事育児に関する日本の現状を批判する方の記事がよく最上段に表示されるのですが、その方の場合、ツイッターのフォロワーに女性の比率が高いことや、記事中にほぼ物品購入系の広告が入っていることから、家事育児の男女の負担割合に不満のある女性に共感を得てもらって収入につなげていくビジネスなのだろうなと思うわけです。

最近は男性の家事負担割合を増やす方向の意見のほうが政治的にも正しく追い風も吹いていることから、他社から批判を受けにくいタイプのビジネスでウマいなと思いました。

しかし、これをビジネスとして捉えずにマジメな議論として捉えてしまうと、色々と反論したくなってしまうものです。

まあそのマジメな反論については別の記事にしようと思いますが、たとえばスポーツの世界ではルールや相手を分析してこちらの戦い方を組み立てるということが推奨されています。

現実の世の中をみても、現状や政権を批判する人はルールや現状を変えようとして難しい言葉を並べて声高に叫んでばかり、ルールや現状を分析して上手く立ち回る人は豊かで安定的な生活を手に入れるという現象が起こっている、こういう現象をみて批判に時間を使っているひとはもったいないなあと思います。

はてははそんななんらかの事情で現状分析に失敗したり上手く立ち回ることができなかった方の不満の捌け口として機能しているのではないかと感じますね。

文章の構成や単語の選び方に知性を感じるだけに、その知性を活かしきれなかった分、不満や後悔も多いのでしょう。

 

 

 

2.はてなは怖いか?

私のような弱小かつ読み手の少ないブログの場合「はてなは怖い」と思うようなこともないわけですけど、私が感じる独特の雰囲気に関して「怖い」と感じる方もいらっしゃるようです。

blog.gyakushu.net

いまさら他のブログサービスに引っ越すのも大変ですし、私の場合は過去の仕事の経験から

匿名でしかケンカ腰になれない人には興味が無い

仮に面前に来られても、棺に入るか刑務所に入るかを選ぶ覚悟はできている

ので「怖い」という感情もなく、しばらくこのまま続けてみようと思います。

東京五輪ブラックボランティアの原点

東京オリンピックのスタッフにタダ働きをさせるという小池方針が炎上中の模様です。

五輪ボランティア、医療スタッフも報酬0円 「お気持ちのある方に来ていただく」 | netgeek

 

 

確かな検証をしたわけでもなく私の記憶を辿った仮説で申し訳ないのですが、このような愚行が行われることになったきっかけは、小泉改革(骨太構造改革)です。

この構造改革では公務員削減が謳われ、当時は失われた20年の真っ最中だったことから安定した雇用環境に嫉妬した一部国民の後押しもあり、小泉改革以降も公務員削減を謳う政権がいくつか登場しています。

blogos.com

公務員削減 政権 - Google 検索

 

公務員を削減論は本来「小さな政府≒自己責任と弱肉強食」とセットでの議論となったりするのですがそういう難しい議論は学者に任せるとして、現実的な問題として

削減対象の公務員は明日から無職なのか?

削減しても業務量が変わらなければ休まず働かねばならないのか?

の2つの問題が出てくるわけです。

 

 

1.削減対象の公務員は明日から無職なのか?

この問題については、公務員といえども労働としての権利があることや公務員労組を支持基盤とする政党もありますので、簡単に「明日から無職」にすることは現実には不可能でした。

そこでとられた手法として独立行政法人化などがありました(国立大学や国立病院の職員が公務員ではなくなった)。

その他にも手法があったかもしれませんが、この記事の本旨ではありませんので省略します。

 

 

2.業務量がかわらなければ休みなしで働かねばならないのか?

これは当然にNoです。

なぜなら健康を害するほどの多量の業務負担で過労死した場合には役場が責任を追及されて損害賠償をしなければならず、そのことは結局は税からの持ち出しとなるからです。

だからといって残業がないわけではありませんが、定数削減により消化困難になった業務や新規に作られる業務を「ボランティアに任せる」という手法が出始めました。

身近な例でいうと「○○小学校通学路見守り組織」などがそうでしょう。

犯罪者や不審者が「目撃されることを嫌がる」ことに目をつけ、民間ボランティアが通学路の要所要所に立って子どもに挨拶をしています。

厳密に言えば、挨拶運動などと称して小泉改革以前にも道端に立つ警察応援団のようなおじさんやおばさんがいましたが、小泉改革以降は目に見えて増えてきました。

これなどは、通学時間帯(朝の7時半~8時半)は学校も警察も始業時間前であり、先生や警察官を働かせれば早出残業のお金を支給しなければならなくなりますし、そもそも人数的にそんなにたくさんの人員を配置できないことや、ボランティア時間が短時間なため現役リタイアした高齢者たちでも可能なボランティアだったことなどが上手くかみ合って「役場の人員不足をボランティアでカバーする」ことが上手く行った例だと思います。

 

 

 

3.法的問題がクリアされない例も

しかしこういった一部の成功例に味をしめた国の役所は「ボランティアの活用」といった「タダ働き」を推奨するようになりました。

新聞の地域欄を見ていると、大学生や高校生がボランティア活動をしたと紹介されていることがあります。

大学というのはもともと「学園の自治」が重視され、大学生が自己責任でなんでもやることは不思議ではありません。

しかし高校生の場合はどうでしょうか。

たとえば土日に路上でボランティア活動をして交通事故にあった場合、それは学校行事なのか自主的活動なのか。

活動の安全管理の責任はだれにあるのか(大学生と違い高校生の未成年率はほぼ100%であり法的責任がそもそもあるのか)。

進学校の高校生が募金活動中、DQN高校や特定外国人向け専修学校(あえて国は書かないが)にカツアゲされた場合の責任やカツアゲされないための安全管理の責任は誰に帰属するのか。

結局のところ、私の近くの高校ではボランティア担当の先生が土日にボランティア活動に付き添って安全管理を担当しており、そうなるとそれは単なる学校行事なのかボランティア活動なのかわからないのですが、それでも上部組織へは「ボランティアが自主的に活動をして成功を収めた」と報告されていると思われます(なぜならそういうボランティア団体の活動で揉めた例も聞きませんし、安全管理上あるいは労務管理上の問題から団体が解散したという例を聞かないから)。

 

 

 

こうして実質ボランティアでないものまでが「ボランティアで成功」と内部報告されることにより、上部の役場の中では勘違いが起きているのではないでしょうか。

「予算をつかわずにイベントを遂行するならボランティアで」という謝った、あきらかにおかしい思考がそのような誤解の中で行われている可能性があります。

大きな会社に所属したことがあるなら、こういうたとえ話ではどうでしょうか。

ヒラが主任に、成功をちょっと盛って報告する

主任が係長に、成功をちょっと盛って報告する

係長が課長に、成功をちょっと盛って報告する

課長が部長に、成功をちょっと盛って報告する

部長が専務に、成功をちょっと盛って報告する

専務が社長に、成功をちょっと盛って報告する

最終的にヒラが話したことと社長が認識したことは似て非なる別物

 

 

 

 

東京五輪ブラックボランティアは、このような役場主導ボランティアの歴史を世間が許してきたために限界が来て破裂した、私の目にはそのように映りました。

「ボランティアと称してタダ働きを強要する」ことにはじめて異論が唱えられた東京五輪ボランティア問題。

これがきっかけとなり、役場が民間に負担をおしつける歴史が変わることを望みます。