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東京五輪ブラックボランティアの原点

東京オリンピックのスタッフにタダ働きをさせるという小池方針が炎上中の模様です。

五輪ボランティア、医療スタッフも報酬0円 「お気持ちのある方に来ていただく」 | netgeek

 

 

確かな検証をしたわけでもなく私の記憶を辿った仮説で申し訳ないのですが、このような愚行が行われることになったきっかけは、小泉改革(骨太構造改革)です。

この構造改革では公務員削減が謳われ、当時は失われた20年の真っ最中だったことから安定した雇用環境に嫉妬した一部国民の後押しもあり、小泉改革以降も公務員削減を謳う政権がいくつか登場しています。

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公務員削減 政権 - Google 検索

 

公務員を削減論は本来「小さな政府≒自己責任と弱肉強食」とセットでの議論となったりするのですがそういう難しい議論は学者に任せるとして、現実的な問題として

削減対象の公務員は明日から無職なのか?

削減しても業務量が変わらなければ休まず働かねばならないのか?

の2つの問題が出てくるわけです。

 

 

1.削減対象の公務員は明日から無職なのか?

この問題については、公務員といえども労働としての権利があることや公務員労組を支持基盤とする政党もありますので、簡単に「明日から無職」にすることは現実には不可能でした。

そこでとられた手法として独立行政法人化などがありました(国立大学や国立病院の職員が公務員ではなくなった)。

その他にも手法があったかもしれませんが、この記事の本旨ではありませんので省略します。

 

 

2.業務量がかわらなければ休みなしで働かねばならないのか?

これは当然にNoです。

なぜなら健康を害するほどの多量の業務負担で過労死した場合には役場が責任を追及されて損害賠償をしなければならず、そのことは結局は税からの持ち出しとなるからです。

だからといって残業がないわけではありませんが、定数削減により消化困難になった業務や新規に作られる業務を「ボランティアに任せる」という手法が出始めました。

身近な例でいうと「○○小学校通学路見守り組織」などがそうでしょう。

犯罪者や不審者が「目撃されることを嫌がる」ことに目をつけ、民間ボランティアが通学路の要所要所に立って子どもに挨拶をしています。

厳密に言えば、挨拶運動などと称して小泉改革以前にも道端に立つ警察応援団のようなおじさんやおばさんがいましたが、小泉改革以降は目に見えて増えてきました。

これなどは、通学時間帯(朝の7時半~8時半)は学校も警察も始業時間前であり、先生や警察官を働かせれば早出残業のお金を支給しなければならなくなりますし、そもそも人数的にそんなにたくさんの人員を配置できないことや、ボランティア時間が短時間なため現役リタイアした高齢者たちでも可能なボランティアだったことなどが上手くかみ合って「役場の人員不足をボランティアでカバーする」ことが上手く行った例だと思います。

 

 

 

3.法的問題がクリアされない例も

しかしこういった一部の成功例に味をしめた国の役所は「ボランティアの活用」といった「タダ働き」を推奨するようになりました。

新聞の地域欄を見ていると、大学生や高校生がボランティア活動をしたと紹介されていることがあります。

大学というのはもともと「学園の自治」が重視され、大学生が自己責任でなんでもやることは不思議ではありません。

しかし高校生の場合はどうでしょうか。

たとえば土日に路上でボランティア活動をして交通事故にあった場合、それは学校行事なのか自主的活動なのか。

活動の安全管理の責任はだれにあるのか(大学生と違い高校生の未成年率はほぼ100%であり法的責任がそもそもあるのか)。

進学校の高校生が募金活動中、DQN高校や特定外国人向け専修学校(あえて国は書かないが)にカツアゲされた場合の責任やカツアゲされないための安全管理の責任は誰に帰属するのか。

結局のところ、私の近くの高校ではボランティア担当の先生が土日にボランティア活動に付き添って安全管理を担当しており、そうなるとそれは単なる学校行事なのかボランティア活動なのかわからないのですが、それでも上部組織へは「ボランティアが自主的に活動をして成功を収めた」と報告されていると思われます(なぜならそういうボランティア団体の活動で揉めた例も聞きませんし、安全管理上あるいは労務管理上の問題から団体が解散したという例を聞かないから)。

 

 

 

こうして実質ボランティアでないものまでが「ボランティアで成功」と内部報告されることにより、上部の役場の中では勘違いが起きているのではないでしょうか。

「予算をつかわずにイベントを遂行するならボランティアで」という謝った、あきらかにおかしい思考がそのような誤解の中で行われている可能性があります。

大きな会社に所属したことがあるなら、こういうたとえ話ではどうでしょうか。

ヒラが主任に、成功をちょっと盛って報告する

主任が係長に、成功をちょっと盛って報告する

係長が課長に、成功をちょっと盛って報告する

課長が部長に、成功をちょっと盛って報告する

部長が専務に、成功をちょっと盛って報告する

専務が社長に、成功をちょっと盛って報告する

最終的にヒラが話したことと社長が認識したことは似て非なる別物

 

 

 

 

東京五輪ブラックボランティアは、このような役場主導ボランティアの歴史を世間が許してきたために限界が来て破裂した、私の目にはそのように映りました。

「ボランティアと称してタダ働きを強要する」ことにはじめて異論が唱えられた東京五輪ボランティア問題。

これがきっかけとなり、役場が民間に負担をおしつける歴史が変わることを望みます。