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離婚後に自由に生きる姿の記録

ストーカーという言葉の変遷 1

ストーカー規制法という法律があります。

この法律が桶川ストーカー事件を契機に作られたことは有名ですが、私はこの法律ができるまでの間に「ストーカー」という言葉の定義が変わったことにずっと違和感を抱いていました。

そして、現在「ストーカー殺人事件」が数年に一度発生し、警察のミスであるかのように報道されることがありますが、ストーカーという言葉の定義が変わったことで悲劇が発生しやすくなった(警察でさえ変遷したことを知らないため)のではないかと思います。

 

 

 

1.初期のストーカーの定義

日本に最初に「ストーカー」の言葉を紹介したのは、米国の書籍の翻訳本でした。

ここ数日その本のタイトルを探していたのですが、20年くらい前の書籍であることもあり、未だに見つけることはできていません。

私の記憶をたどる限り、その本に書かれていたストーカーとは

 誰にでも笑顔を振りまく店員さんを一方的に好きになって付けまわす

というような、「もともと恋愛関係にあったわけでもなく、交際の申し込みもしてないのになんでいきなりそんな急接近しようと思うのか?」という人間関係の距離感のわからない人格障害的な人物を指す言葉でした。

その言葉がメディアに取り上げられてメジャーになってきたころに、ストーカーを題材としたドラマが2本、ほぼ同時に放映されます。

ひとつはストーカー・逃げきれぬ愛という渡部篤郎VS高岡早紀のもの、もうひとつはストーカー・誘う女という陣内孝則VS雛形あきこのドラマです。

このうち、逃げ切れぬ愛のほうは渡部篤郎高岡早紀の間に交際の事実はなく、親切を受けたことを勘違いして好意を寄せてストーカーするという、本来の意味に近い設定でした。

誘う女のほうは、日本版「危険な情事」とでもいうべくワンナイトラブのせいで男が追い詰められていくドラマでした。

 

2.ストーカーという言葉の変化の切っ掛け

ストーカーという言葉はもともと「忍び寄る者」という意味で、動物がエモノを捕らえるときに密かに背後から近づくような状態を表すものです。

外国では著名人(例えばジョンレノンのような)が精神異常者から何らかの感情を抱かれて殺害されたりすることがあり、著名人は市井に紛れて暮らす精神異常者の存在を知ることができず、知らずに付けねらわれることから「ストーカー」と呼んだのだと思われます。

ところが日本では警察の不手際で桶川ストーカー事件が起きました。

この事件の主犯は被害者と交際していた男でした。

そういう意味では米国の書籍によって紹介されたストーカーとは異なり、古来から発生している「痴情のもつれ」「別れ話のもつれ」に端を発する殺人事件でした。

ところが、別れ話に納得できなかった犯人(とそのグループ)が殺人事件を起こす前に執拗な嫌がらせを行ったことから「ストーカー殺人事件」という扱いを受け、ストーカーの原義である「被害者にとってどこの誰だかわからない者に付け狙われる」という状態だけでなく、「もともと交際関係にあった者が別れ話に納得できずに行う犯罪」もストーカーと呼ばれる切っ掛けになりました。

 

 

その後、桶川ストーカー事件を契機にストーカー規制法が作られ、「別れ話のもつれ」もストーカーに組み込まれることが決定的になりました。

私の記憶が正しければ、ストーカーという言葉はこのような経緯で変遷しました。

しかし、私は「交際関係にない者に付け狙われる」ことと「別れ話のもつれ」は全く異なる対処が必要であって、精神医学の研究もこの2つを別の現象として扱うべきではないかと思うのです。

それについてはパート2で書こうと思います。

 

 

 

ただし、2つの現象のどちらも一気に解決する方法があります。

それは被害女性が強い男と交際することです。

無差別殺人の犯人が「誰でもよかった」と言いながら決して司忍さんにチャレンジしないのと同様に、司忍さんの家族や彼女に対してストーカーできる人間はいないのです。

だって、誰だって「その女をなんとかする確率と自分が殺される確率」を計算して行動しているのですから。

そして残念なことに、司忍さんが持っているような力を日本の警察が発揮することは難しいために、ストーカー殺人事件が繰り返されるのだと思うのです。

(本当に六代目山口組がそんなことをするかどうかはわかりませんが、人を殺してミンチにして湖に沈めるとか薬品で溶かすとか、ヤクザならそんなこともできるかもしれないという恐怖がヤクザの威力となっているのであって、警察が犯人を殺して死体を隠すということをするはずがないことは市民が知っているという意味です)