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離婚後に自由に生きる姿の記録

生活保護に関する対立02

前回の記事で書いた「相対的貧困」という言葉や定義に関する疑問について書こうと思います。

相対的貧困についてはこちらで定義をご確認ください。

 

相対的貧困は定義が複雑なのでザックリとしたことを言いますが、

 

お金持ちが頑張って年収を上げたら、貧困ラインが上がってしまい、貧困の者が増える(しかし税収は増えるので福祉に回せる金も増える)

 

お金持ちが海外に逃げて税収が減ったら貧困ラインが下がるから貧困の者が減る

(しかし税収が減るので福祉に回せる金も減る)

 

という現象を引き起こすのです。

私は貧富の差については、富の多さよりも貧しさのほうが問題であって「貧しくない生活」を送れるようにしなければならないと思います。

しかし、富の多さも貧困を決める基準の算出根拠にしてしまうと、才能も努力も足りない貧乏人が「あいつうらやましい!あいつから富を奪って再配分してもらえる理論が相対的貧困や!」と言っているだけなのではないかと思えてしまいます。

 

 

私は統計的な数字によって導かれた「相対的貧困」はあまり指標として意味はないと思います。

それよりも、国公立大学に入れる頭脳だとか、駅弁大学の特待生(一流私大受験の滑り止めやウォーミングアップに使われるような)に受かる能力がありながら、それを諦めなければならないほどの貧乏は救ってあげなければならないと思います。

少なくとも、そのような大学ならば地元の役場に勤務することができますし、役場であればその地元の平均的な給与は保証され、その子どもたちが貧乏から脱する可能性が高まるからです。

「貧困の連鎖を止める」と言うのならば、本当に貧困の連鎖を止められる実力のある者こそ援助すべきで、貧困の連鎖を止める実力のない者にまで漫然と援助をしてもそれは貧困の連鎖を止めるという目的に限定してみれば「無駄」になる可能性が高いと思います。